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鬱、悩み、嘆きにて。
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死んでました。いえ、一応生きてました。 なんとなーくカメラ直ったんで、奥利根とか撮りに行ってきました。 北上尾で西武FAN!氏クハ103-1氏と合流、撮影。 
 
△その前の足利藤祭り号

  
△EF65 501牽引 奥利根号 

やはりP型の機関車はカッコいいの一言に尽きます。 EF65 535が引退したときからP型は脚光を浴びなくなったように感じますが、堂々と不慮の事故からEF65 501、トップナンバーが復活。経年は相当経っているはずなのにあの目新しい姿に感動した人も多くいると思います。その中の一人、私です。 

その後、行くあてに困った私たち3人は、何も知らないまま豊田のS字カーブに向かうことに。

 その後各自家まで戻り、自転車で豊田へ。西武FAN!氏、クハ103-1氏、お疲れ様でした。 
 
△豊田へ行く道中の八高線 到着した後は、S字カーブで撮影を始めます。 

 
△E233系

  
△本当にすべてE233系…

  
△今や銀色の車体が輝きます

  
△スーパーあずさも中央線の新型の座をE233系に譲り…

  
△もう「昔」となったかいじの183系 ヘッドマークが懐かしい

  
△2年前はこれが「当たり前」だった

  
△時代は過ぎ去るもの。EF64がEH200に変化する時代

  

△そんな時代にも負けず走り続ける115系 いつまでも末永く走り抜けてほしい  

△また、時代の流れとともに置き換える立場の新車 



まさかの東急甲種を撮影できて魅力のある撮影となったんでは、と思います。また、「時代」というものが如実に迫られ迫り続けていることを改めて実感したのも事実、2年前は中央線といえばオレンジ一色の電車が当たり前の世界を、銀色が上から塗り、人々の記憶を上書きし、銀色の電車が当たり前になった。
それは例えば山手線でも、緑色の電車から銀色になったりしている。1993年生の私にとっては山手線は「銀色」という意識が強いのと同じく、時代は昔のことを置き去りに人の記憶を塗り替えていくというのは、各活躍した人間なども同じく電車も、悲しすぎるんではないかと思う私の理論。
寧ろ、中央線は201系がまだ走り続けている。そうして時代は中央線を「銀色の電車」として記憶していくが、それには昔からの活躍があったからこそという事実、鉄道ファンとして忘れてはならない事実と思います。 


そんなわけで…2ヶ月ぶりの更新すいませんでした… 

α7-Dのほうは平塚電留線さんにお返しし、KissDが復帰しましたのでこれからも鉄活動がおそらくできるとは思いますが、高校生な故に時間が見出せなく、極端に減ると思います。
ブログも「撮影記」としてではなく「日常」としてのブログに変化させるかもしれません。よろしくお願いします。 また、ご一緒に撮影された西武FAN!氏、クハ103-1氏、お疲れ様でした。
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